2010年7月30日

責任より理解

何か起こると責任人を探す。でも、それで次の事件が起こるのを防げるのだろうか?僕は防げないと思う。それでは、何かが起こるのを防ぐには何をすれば良いのだろうか。

例えば、学生の暴力事件を防ぐには、生徒に暴力はいけないと説教すればいいのだろうか?それは違うと思う。皆さんは骨折したら、それを無視して、痛み止めを飲む?熱がでたら、熱を下げる薬だけを飲む?悪い症状が出たら、症状だけを治療するのではなく、原因を見つけけて治療する。子供が喧嘩したら、そこで「辞めなさい」と怒鳴るだけで喧嘩を終わらせるのではなく、どうして喧嘩が始まったかを話し合う。

でも、暴力事件に対しては普通そのように原因をするのだろうか。それとも、犯人に責任を取らせて、それで終わらせるのだろうか。

僕は暴力は悪いことだと思うけど、それは病気でいうところの症状にすぎないと思う。重要なのは「誰のせい」ではなく、「どうして起こった」だと思う。皆さんはこの2つの質問は同じだと思う?それは何を求めるかという目的によって違うと思う。責任を求めていたら、全く同じ質問になるけれども、理由を理解しようとしていたら、全く違う質問になる。

2010年7月26日

誰のせい?

日本で学生が起こす暴力事件は毎年増える一方である。もし、皆さんの近くの学校で暴力事件が起きたら、最初のに何と思うだろうか?「犯人の子の親は何やっている」か「学校は何やっている」というように思うのではないだろうか。 誰のせい、誰が責任を取る、こんな考えが普通だと思う。

では、皆さんはこの暴力事件の傾向は誰のせいだと思う?多分、親のせいだと思う人は多いだろう。僕は次のようなことを良く聞きます。近頃の親は子供を甘やかし過ぎて、しつけをちゃんとしていないからこうなる。親は子供を育てる責任がある。子供はまだ未熟だから、大きい過ちは親の責任。

でも、こう考えていいのだろうか?

2010年7月22日

学校は安全?

皆さんはアメリカの学校は安全だと思う?この質問を聞くと頭の中にどんなイメージが浮かぶ?1999年のコロンバイン高校での銃乱射事件のことや2007年の バージニア工科大学銃乱射事件のこと思い出す?僕の生徒に良く聞かれることは、全部の学校が金属探知器を設置しているかとかや警備員かということ。映画やニュースで見たイメージからアメリカの学校は危ないと思う生徒や大人はたくさんいるでしょう。

逆に皆さんは日本の学校の安全性に対してどんなイメージをもっている? 僕は日本の治安はいいし、日本では銃もないから、学校もそうじゃないのかと思っていた。でも、来日してからニュースで聞いた事件や学校で経験から、実際はどうだろうと思い始めた。

この疑問を解決するためにアメリカと日本の学校で起こる暴力事件に関して調べてみた。その結果を皆さんに伝えたいと思う。

2010年7月17日

悲しい逆説に対する考え

Part 1: 悲しい逆説的状況
Part 2: 悲しい逆説の根源?

追い込ま状況逃げられないと、誰かに助け求めようとする。しかし、日本ではこれがとても難しいというのは当たり前だと思う。日本では、人は自分のことで精一杯で他人問題押し付けられる、誰かが助けれくれるだろうから自分なくても良い思うではないだろうか。助け求めようとするたち冷たいられて、苦しんいる迷惑扱い、もっと傷つけられ追い込まれる周りの人自分苦しみに対てどう反応するか知いるは誰にも助け求めるず、自分苦しみ溺れ死ぬ

でも、がこうではない信じいる少ないかもしれないが、助けなり思う絶対いる自分が同じような苦しみ追い込まれた経験たか他人気持ち理解できて、あげい。ただ、どうすれ良い分からない

では、どうすれ良いか?

2010年7月13日

悲しい逆説の根源?

バブル経済崩壊影響日本自殺急増社会にとって重大問題なっている。こ問題解決するには原因明らかないいけないが、自殺意志残さない限り理解する難しい。だから、具体原因見るより、そ奥深く潜んいる状況を探ってみたいと思う。でも、これ単に僕意見であり、これ読んいる皆さん会話始まりだと思っいる

日本歴史には「切腹」と風習あった。こ概念、特に、「家族名誉取り戻す」や「自分詫びる」などはまだ日本生きいるではないだろうか。でも、日本自殺への影響小さい思う。こ考え除くと、自殺問題日本アメリカ、そてその他の諸国、と同じ状況で自殺問題が起きている思わざるをない

2010年7月9日

悲しい逆説的現状

恵まれアメリカ一番恵まれていると言う多い思う名誉かなで、個人主義おかげ自由自分生きて、自分幸せ掴むが最優先世界から見ればアメリカ生活にも抑えられず、自分独り生きいけるイメージあるだろうか? 

一方日本平和人々自己押さえ集団社会生きいるイメージ強いだろう。人々お互い助けあうからこそ平和日々恵まれいる

これ考えるアメリカ自殺問題大きいことが当然のように思える。でも、現実見るとそうではない気付くそれだけではない日本自殺アメリカ。そ世界で4、G8で1だと分かる

2010年7月3日

僕の世界を変えたボランティア経験 Last Part

Part 3 (http://tcknomekara.blogspot.com/2010/07/part-3.html) の続き

 3: 本当に生きることは、どういうことか

グアテマラでの経験の中で一番印象に残ったのは人々の生き方だった。それまでの僕の生き方と比べると、この 人たちの生活は不安定で貧しい。ゴミ捨て場の生活や内乱後の混乱は平和に囲まれたアメリカや日本の生活とは比べ物にならない。それでも、僕は日本やアメリカ にないものを見つけた。それは本当に生きている人たち。

グアテマラの人たちの生活に衣食住の安定はがなかった。皆は必死に毎日を生きようと していた。この人たちと暮らした僕は最初は皆の生活に不満を感じた。「こんな生き方で良いのか」とか「この人たちは何もない」とか思った。アメリカでの恵まれ た暮らしが恋しくなった。でも、それもすぐに変わった。だって、この人たちは不満ではなかった、逆に本当に喜んで毎日生きていた。僕は日本でもアメリカでも感じたことがなかった幸せを肌で感じた。「そして考えた、「どうして何もないグアテマラでこんなに生き生きしている人がいるのに、恵まれた国にはこうやって生きる人はいないの?」

この人たちは衣食住を手に入れるので精一杯。恵まれて平和な生活を送る僕たちはこれが当たり前にあるように生きている。そして社会はそれだけでは幸せになれないと言う。最新技術がないと幸せになれない、体がこんな形だと幸せになれない、こうやって生きていか ないと幸せになれない。僕たちは社会の嘘のせいで満足できなくなった。まるで子供のように必要な物より欲するものに目を向けて生きている。

2010年7月1日

僕の世界を変えたボランティア経験 Part 3

 Part 2(http://tcknomekara.blogspot.com/2010/06/part-2_28.html)の続き

2:どんな障害があっても人は分かり合えると分かった
2週間半の間、僕たちはグアテマラの人々と共に暮らし、一緒に汗をかきながら働いた。そして、3日間、一人でグアテマラの家庭ホームステイをした。どこでも、グアテマラの人たちは言葉が通じない僕を受け入れてくれた。この最初の 一歩で分かち合える道が造られた。それを感じた僕は、どんな手段を使っても踏み出そうとした。時間がかかったけど、伝わった。そして僕は気付いた。

人と分かり合えるために一番大事なのは人をありのままに受け入れることだ。これは当たり前だと思うけど、人を無条件 で受け入れるのはとても難しいことだ。グアテマラのの人々は外国人の僕たちを無条件で受け入れてくれた。家を他人に開けて、ともに生活するのを許してくれ た。

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